エコアズ・ウィークリー <2023年3月7日号>
「日本人上司がオフィスの掃除を強要するので退職したいです!なぜ私が掃除を・・・?」
「オフィスの掃除をさせる会社なんて辞めなさい!って親がうるさくって。」
おはようございます、小野です。
「上司がオフィスの掃除を強要するので辞めたい。」
これはタイで時々あるあるです(特にスタートアップ企業は要注意)。
もちろんスタッフは文句を言いませんし、顔には出しません(なので恐い、、、)。
おそらく日本人上司は、
「皆でオフィスを綺麗にすることによって、心も綺麗に、そしてチームワークの向上に繋がる!」
という考えなのかもしれません。私も気持ちはすごく良くわかります。
しかしこれはタイ人にとってはとんでも無い話。
「なぜ私がオフィスの掃除を・・・?」
「これは私がするべき仕事ではない。」
「メイドや業者がすることでしょう。」
ある程度アッパークラス以上のタイ人であれば、掃除=メイドの仕事。
そもそも掃除はやるものだという発想がなく、掃除はやってもらうもの。
掃除で汗をかくなんてカッコ悪い。
中流以下のタイ人にとっても自宅の掃除は適当なもので、
掃除機すら置いてない家庭も多く、部屋が散らかってきたらホウキで簡単にサッと掃く程度。
日系企業のタイ人スタッフは、ちょうどこの両者が混在しているのではないでしょうか。
そもそも掃除に対する考え方が、我々日本人とは全く違うんです。
我々日本人はと言えば、
掃除=神聖な美徳。神聖な世界を大切にする心の働きであり、掃除はその形。
日本人の掃除の起源は神話にまで遡ります。
イザナギノミコトが亡くなった妻のイザナミノミコトを黄泉の国に訪ねるも、結果的に
逃げて帰ってくる。その時に身体についた穢れ(けがれ)を川で洗い流す。
いわゆる「禊(みそぎ)」の起源です。
我々日本人は、「穢れ」を清める「禊ぎ」の精神が、DNAに刻み込まれているのです。
日本人の掃除といえば、昨年開催のサッカーW杯が記憶に新しいですね。
国際サッカー連盟の公式ツイッターは、日本代表選手について
「いつもロッカールームを綺麗にしてくれてありがとう!」と写真入りで称えました。
大会組織委員は、観客席を毎回綺麗に掃除する日本人サポーターを表彰までしました。
これに感化されたモロッコやチュニジアのサポーターも掃除を始めるなのど、
日本人の振る舞いは他国のモデルにさえなりました。一方で、
「清掃員の仕事を奪うのは如何なものか?」と批判する国も。。。
まさに文化の違いです。
アジア太平洋会議の中に、「子供の学校の掃除は誰がするのか」という興味深い
調査レポートがあります。調査結果は下記のとおりです。
児童がおこなう:日本、台湾、パラオなど
清掃業者:オーストラリア、インドネシア、シンガポールなど
その他(メイド等):タイ、ブルネイ、ネパールなど
日本人児童は「掃除は自分たちでやるもの」と考えています。
一方でタイ人児童は「掃除はメイドがやるもの」と考えています。
(タイの場合、公立・私立・ランクによって、児童が掃除をするところもあるそうです。)
台湾やパラオの掃除文化は日本統治時代に普及したものです。
シンガポールでは最近小中高校で日本式掃除の時間が設けられ、エジプトでは
日本式教育校が広まっており、そこでは日本式掃除が導入されているそうです。
朝から夕方まで(下手すれば常に)オフィスで何かを食べているタイ人スタッフに対し、
新たにタイに赴任された方が驚く話は良く聞く話ですが、掃除はもっと別次元のところに
ありそうです。掃除に関しては文化の根っこ的な部分だと思います。
実は私も過去にオフィでスタッフと一緒に掃除をやっていた(=させていた)時期がありました。
まさに冒頭の、
「皆でオフィスを綺麗にすることによって、心も綺麗に、そしてチームワークの向上に繋がる!」
という思いからです。。。(汗)
しかしタイオフィスと台湾オフィスで、明らかに温度差がありました。
私が掃除を始めると、しぶしぶ始めるタイ人スタッフ。
時間になったら自ら掃除を始める台湾人スタッフ。
そもそも文化が違うので、解決しようと考えること自体に意味がない(=もっと違うところに
労力を割くべき)と気づいたのは、恥ずかしながらずっと後になってからです。
日本人の掃除(=その場所への敬意)に対する考え方は、世界的に見れば異常。
まさに「日本の常識は世界の非常識」の一例だと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。(小野)
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