バンコク郊外では働きたくない!?~若手日本人現地採用スタッフ~【前編】

<2022年9月27日号>

おはようございます、小野です。

「以前に比べ、20~30代の若手の日本人現地採用スタッフが全然採用できなくなりました。」
「そもそも応募者が全くきません。。。」

時々バンコク郊外の企業様より、このようなお声いただきます。

※ここでいう「バンコク郊外」とは、バンコクから通勤可能なエリア及びシラチャ・ラヨン
地区を指します。

確かに以前に比べ、バンコク郊外で勤務可能な或いは郊外勤務を希望する20~30代の
若手日本人現地採用スタッフは激減し、採用は極めて困難になりました。
残念ながらこの傾向は今後も続いていくでしょう。

なぜバンコク郊外で若手日本人が採用できなくなったのでしょうか・・・?

減少傾向には様々な要因があるのですが、今回はその中の代表的な例をいくつか挙げたいと
思います。偶然にも2009年の「シラチャ日本人学校開校」と時期的にも重なりますし、
シラチャ日本人学校の存在も関係してきますので、
<before シラチャ日本人学校>
<after シラチャ日本人学校>という角度からお話を進めていきたいと思います。

<before シラチャ日本人学校 ~2009年以前~ >
屋台、喧騒、雑踏、マーケット、エキゾチック、タイ人の田舎っぽさ。。。
昔のバンコクは日本在住の方々がイメージする、まさに「ザ・東南アジア」のイメージそのもの。
当時旅行やバックパッカーで一度バンコクを訪れた若者は、すぐにバンコクとタイの虜になり、
中にはタイ好きが高じてタイに移住する方も。そして語学学校でタイ語を学んでから、
タイで就職活動を開始するのが一般的でした。

タイ語がそれなりに出来る方が多かったので、バンコクよりも仕事でタイ語を使う頻度が
高いバンコク郊外を勤務地として選択する方も結構いました。
(タイ語は出来るが、英語がかなり苦手な方が多かった、という方が表現としては
適切なのかもしれません。)

中には海のあるところで生活したい!!ということで、
敢えてシラチャやパタヤを希望し、そこに定住しチョンブリ・ラヨンの企業に就職される
方々も多数いました。例えば当時のシラチャは、ほどよい感じで日本人も少なく
物価も安い「ザ・東南アジア」的な田舎の漁港町でした。

当時就職した若手人材は、現在は40代、50代以上に。日本へ本帰国した方もいれば
タイで家庭を築き、現在もバリバリの現役でタイでご活躍中の方も多数。
このカテゴリーには「勤務地問わず」の方々が多いです。

<after シラチャ日本人学校 ~2009年以降~ >
2022年、もはやバンコクは「ザ・東南アジア」ではありません。
20年以上前と比べ、バンコクは「これは別の国か?」というぐらい、大発展を遂げました。
東南アジア地域においては、シンガポールと並び今や世界有数の大都市と言っても
過言ではありません。バンコクはオシャレな服を身にまとうタイ人で溢れています。
鉄道網もかなり急ピッチで建設・整備されました。

外国人がバンコクで生活する分には、英語があれば特にタイ語を話せなくても、
そこまで不便さを感じることはありません。
タイの経済発展に伴い、タイで就職する日本の若者の傾向は大きく変わっていきます。

「とりあえず国はどこでも良い。」
「それなりの都会で働きたい(オシャレなイメージ)。」
「不便な生活は嫌だ。」
「英語を使って仕事と生活をしたい。」
「タイ語は挨拶程度出来れば良い。」
「通勤時間は30分以内希望、1時間以上なんてありえない。」
「乗り合い通勤?絶対にNG。」等々、、、

どうでしょう。。。
<before シラチャ日本人学校>の若者と全然違いますよね。
※ちなみに今週の求職者リスト記載の【Ref No. 3240082】の日本人男性のような、
 タイ語読み書き可能な若手人材は極稀です。

いつもの倍ぐらいのボリュームになりそうなので汗、続きは次号にお届けします!

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。(小野)

コメント

タイトルとURLをコピーしました